channelSriLanka スリランカ情報

23 October 2018 Tue

スリランカ内戦

コロンボの大砲

 スリランカはシンハラ人を大多数に、タミル人、モスリム系、マレーシア系と多くの人種が暮らす多民族国家です。各民族は長い歴史を持ち、各々の言語で語り、先祖代々の宗教を信仰しています。

シンハラ人とタミル人の対立

16世紀から沿岸地域を中心に、ポルトガル、オランダと部分的に植民地化されていたスリランカは、1815年 全島が英国の支配下となります。英国統治の下、行政府官吏としての役割を与えられたのは民族少数派であるタミル人であり、英国支配に対立・抵抗を続ける民族多数派のシンハラ人を統治する「分割統治」を行います。その結果、シンハラ人は貧しい生活を強いられる一方、タミル人は多くの利権を手にすることとなり、これが独立後の民族間確執へとつながる原因になったと言われています。

スリランカ独立

1948年 スリランカは英国より独立、新政府はシンハラ人優遇政策を掲げます。「シンハラオンリー法」などに代表される、英国植民地下のシンハラ人の鬱憤を晴らすかのようなタミル人差別の政策は、タミル人の反発を招き、各地で民族間の衝突が頻発することになります。

LTTE タミル・イーラム解放のトラ

一貫したシンハラ人優遇政策に、政治的解決もままならないタミル人は、次第ににその解決策を過激派や武装団体に求めることとなります。1972年 「LTTE」の前身となる「TNT」が組織されます。LTTEはゲリラ作戦を得意とし、自爆テロなどにより、多くの要人を殺害しました。

内戦勃発

1983年 LTTEはゲリラ攻撃を仕掛けて、政府軍兵士13人を殺害します。これをきっかけに暴動が発生。スリランカ国内は、四半世紀にもおよぶ内戦状態へと突入することとなります。

終戦

インド平和維持軍、ノルウェー政府の仲介などにより、幾度となく停戦に合意するものの断続的なテロは止むことがなく、根本的解決には至りませんでした。2006年 政府軍は再び攻撃を本格化させ、2009年にはLTTEを壊滅状態に陥れます。同年5月19日 スリランカ政府は、LTTE最高指導者 プラブハカラン議長が戦闘で死亡したことを発表、死者7万人以上を出した内戦の終結を宣言しました。

今後の取り組み

スリランカは単一国家を維持しながらも、北・東部を含む各州に一定の自治を認める「権限委譲」を進めていく考えを示しています。また、タミル人を含めた少数派民族の不満解消に向け、積極的政策アプローチをするとしています。

Ads by Google